プロローグ
イアルマスが興味を示すのは十中八九《迷宮》に関する事で、今回もまたその一つであった。
《闘神 の酒場》に集う冒険者らの間に、ひそかに囁かれる奇妙な噂。
それは《迷宮》の中に、また異なる《迷宮》の姿を垣間見る・・・だのという言葉。
普段のイアルマスであれば、そんな噂は一蹴するだろう。事実、彼は軽く笑った。
「テレポーターの狭間に未知の通路を見つけた盗賊の冒険奇譚・・・なんてのもあったな」「それが、どうもそういった類とは違うらしい」
だが対面する相手が、《スケイル》でも随一の冒険者のひとり、セズマールであれば違う。
この男は並々ならぬ経験を積んだ冒険者であり、与太話とそうでない噂の、区別はつく。
「お前、《モセルド王国》だの《血の結晶》だのって知ってるか?」「いや」
「じゃあ、そもそも誰が《ダドエルの穴》なんて言い出したと思う?」
「・・・」
イアルマスは押し黙った。想像するのは容易い事だった。
「冒険者か」「そう」セズマールは我が意を得たりと、上機嫌に頷いた。「穴の向こうにも冒険者がいたのさ」
「そいつらが」とイアルマスは慎重に、用心しいしい問いかけた。「俺達と違うって証拠は?」
何しろ、《迷宮》というのは人の正気を奪うものだ。正気を失ったという自覚さえないままに。
たとえば延々と《迷宮》を徘徊し、遭遇する者すべてを獲物と見て侵入と殺戮 を繰り返す者。
それが地下迷宮を彷徨く怪物と大差ない存在である事に、はたして当人は気づいていようか。
イアルマスにはわからない。そうなったところで、自分は大して気にしないだろうから。
何が面白いのかセズマールは「まあ、聞けよミフューン」と、ひどくニヤついた笑みを浮かべた。
「連中を采配しているのは、冒険者ギルドのマスターとやららしいぜ」イアルマスは目を見開いた。呆れたようでも、驚いたようでもあった。
︱︱冒険者の職業組合 などとは!
氏族 だなんだと名乗ってる手合を見た時も、彼はこんな表情をしたものだ。
まったく・・・まったく。
「聞いたこともないな、そんな輩は」「だろう?」
大いに頷くセズマール。彼はどんな話をする時でも、食事の場では明るく振る舞う男だった。
がぶりと気持ちの良い飲み方で杯の麦酒を呷ると、口元をぐいと拭う。
それを見ながら、イアルマスは常通り、陰気に麦粥をかっ食らった。食事は腹に貯まれば良い。
「で、そのギルドマスターとやらは褒美に何をくれるって? 階級章か?」「【ウィザードリィ】の称号だとさ」
「皮肉・・・いや、道理だな」
冒険者に送り込まれ、迷宮を踏破したものが、大魔道士 と呼ばれる。
それは延々と繰り返される侵入と殺戮 の権化に対する呼び名として、似合いのものだ。
それはもはや、迷宮の主に等しい存在なのだから。
「その話を俺にして、どうするつもりだ」「そりゃあ、お前、決まっているだろう」
セズマールは大真面目に腕を組んだ。
もはや問わずとも察せる事だが、酒場でのやり取りは戒律を検めた上での声掛けが常法だ。
「ゆくか」「ゆこう」
そういう事になった。
§
「・・・ウェー」「alf」
という事になったのを後から知らされた側は溜まったものではない、とララジャは思う。
あいも変わらず残飯 は意気揚々と、真新しいだんびらを担いで上機嫌。
対するララジャはといえば、まるで背にかさばる荷物を背負ったかのように、肩が重たい。
もちろんそれは精神的な意味でもあり︱︱・・・物理的な意味でもあった。
「こんなん担いで迷宮に行く奴、見たことねえぞ・・・」
「随分と新しい所のようだからな」イアルマスは笑った。「盗賊の弓くらいが良かろう」
ララジャの背中には、大ぶりの石弓 がぶら下がっていた。
キャットロブの店でこれを贖った時は、『新時代 か』と、変な顔をされたものだ。
「懐古趣味 ではあっても、復興 とは言えんからな、俺も」
︱︱まあ、こいつ(イアルマス)が訳のわからん事言うのは、今に始まったこっちゃない・・・。
ララジャは陰鬱になる気持ちを、ぶるぶると頭の中から追い払った。
不安も、心配も、結局は黒カビのように心の奥底に根が生えていて、またぞろ伸びてくるものだ。
駆除することはどうしてもできない。だから見かけたら振り払って、違う事を考えるに限る。
さしあたって︱︱《迷宮》というのは、その点ありがたかった。
他のことを考える余裕など、ありはしない。
「つか、他の奴は良いのかよ・・・」
「あの二人は、まだまだ力量が足らんよ」
「それに、死体担ぎの枠はあけんとな」
イアルマスの言葉に続けて、先陣を切って迷宮の通路を進むセズマールがカラカラと笑った。
そうなのだ。今回、どういうわけかパーティが違う。
「いや、皆に声をかけたらフラレっちまってなあ」
「全滅したらコトだからな」
これである。イアルマスが言うと洒落にならないと、ララジャは思う。足取りはそのせいで重い。
だがイアルマスは、軽くそのララジャの肩を叩いて言うのだ。
「まあ、他所に救助だ支援だで行くなど、当たり前だった頃もある・・・」
これも経験、これも冒険だ・・・という事か。ララジャは、大きく息を吐いた。
「さあさ、参りましょう! まったく、見知らぬ場所に向かうならばぜひお声がけ頂かなくば!」
それに気づけば同道しているシスター・アイニッキはご機嫌で、その手に棘鉄球を握ってる。
あの人を待たせては、どうなるかわかったものではない。何より︱︱・・・。
「yap! yelp!」
「わあってる、今行くよ・・・!」
赤毛のガーベイジがまっしぐらに迷宮の奥へ飛び込んでいくのだ。
追いかけるなら、走らねば。